学校生活

感話

礼拝での感話
書く力・話す力・聞く力を生かして、生き方を考える

恵泉教育の特徴のひとつに「感話」があります。日頃感じたり考えたりしたことをまとめたもので、礼拝のときに年に3回他の生徒の前で述べます。1年生のときは原稿用紙で3枚から4枚、6年生になると7枚から8枚を書く生徒もいます。感話を書くということは、自己を見つめ、考える作業にほかなりません。従って、それは時に真剣な告白となって聞く者の心を揺さぶります。何を述べても受け容れられるという恵泉の環境があってこそ、はじめて成り立つものなのです。理想とする生き方、友人とのトラブル、留学から学んだこと、哲学や芸術について……多感な時期に感話を書き、また聞き続けることで、誠実に人生に向き合うことを学びます。

毎朝の礼拝

本校の1日は礼拝から始まります。それは、生徒一人ひとりが自己を見つめる静思の時。讃美歌を歌い、聖書を読み、共に祈る時間です。また、イースター礼拝、母の日礼拝、感謝祭礼拝、クリスマス礼拝、河井道記念礼拝などの特別礼拝では、講師を招いてお話を伺います。

自己と向き合う

生徒が日々の生活の中で感じたことや考えたことを述べる「感話」は、自己と向き合い、内面を掘り下げる大切な機会として、一人ひとりに与えられている、恵泉の礼拝の特色のひとつです。聞く者にとっても、新しい価値観に出会い啓発され、上級生や同級生の経験を追体験・共感できる場です。

豊かな表現力の育成

「感話」を書くことは、論理的思考能力の育成につながります。文章を書くことが苦手な生徒でも、文章の推敲を繰り返すうちに、文章で自分の考えを表現する力が自然と身につきます。また、他人の感話を聞くことも、物事を多面的に捉える力につながり、小論文入試にも大きく役立っていきます。

感話 新着記事

2026/01/26

伝えるから、伝わるへ

5年 A.K.

 自分の意見を持たなければならない、と私はいつも思っていました。小学生のころから友人の意見ばかりに気持ちが、左右されていたからです。そのため、5年生になり、長い付き合いになった友人とお互いの意見を率直に言い合う中で、もやもやすることが増えました。友人とは口論まではいかないとしても、私の頭の中では友人の意見を消化しきれず、理解しあえないと感じる場面が多くなりました。結局、もやもやしたまま過ごし、時間が解決してくれるのを待つだけです。意見の違いに直面した時、私は友人の意見を深く理解する前に、友人としばらくの間距離を取ることもありました。

 改めて考えてみると、意見の違いに苦しむことは友人との間だけではありません。家族との会話の中でも同じようなことが起き得ます。ほかの人に干渉されるのが苦手な私にとって、母の意見を自分の中に落とし込むのが難しいと感じてきていました。特に高校生になってからは進路について考える機会が一段と増え、その分母と意見が衝突することも少なくありません。結局、母と衝突したときはその状況に向き合おうとせず、友人の場合と同様に、時間が経つのを待つだけでした。母は私よりもうんと長く生きている分経験をたくさん積んでいるので、母の考えの方が尊重されるべきものだと思いますが、どうしても受け入れることが難しいのです。その原因として、考えることが好きな私は将来の自分を想像し、ある程度自分の「モデル」を作ってしまうことが関係しているのではないかと思います。一方で、自分の「モデル」を作ったおかげで、私は将来の夢に悩んだことはほとんどありません。ですが、裏を返すと、私は型にはまった見方でしか捉えられず、思い込みや固定観念に縛られた人生にしてしまうのではないかと恐れています。個性と弱みは表裏一体という言葉がありますが、まさにこのことを指していると感じます。このような自分の考え方と向き合っていくうちに、新しく将来の夢が見えてきました。それは、外交官になることです。インターネットで外交官の仕事について調べてみると、外交官という職業についてまだまだ知らないことばかりだったので、冬休み中に、他校の高校生も参加する大使館訪問プログラムに参加しました。大使館を四つの中から選択することができたのですが、私はオランダ大使館を選びました。オランダ大使館を選んだ理由は、友人との意見の違いにもやもやしていた私には、日本とは異なる政策を採っているオランダについて知ることで、意見の違う相手との向き合い方の答えが見つかるのではないかと考えたからです。このプログラムは全国からの高校生が集まるもので、普段は関わることのない地域の高校生と話すことができた点も、とても印象に残っています。各県や各高校で行われている活動には大きな違いがありました。その違いとは、それぞれの地域で過去に起きた出来事や歴史が深く関わっているということです。同じ日本という枠組みの中にいながらも、まるで国をまたいで異なる国の人と話しているのではないかと感じるほどでした。話せば話すほど、新鮮な発見ばかりで、日本の中にも、多様な価値観や背景が存在しているのだと実感しました。実際に大使館を訪れ、私の中にあった「違う意見を持つ相手=(イコール)分かり合えない存在」という考えが変わりました。大使の方はオランダの立場を一方的に主張するのではなく、その体制になった背景を丁寧に説明してくださったのを鮮明に覚えています。そのような姿勢から、ただ「伝える」ことをするのではなく、「相手に伝わる」話し方を考えて、対話することが重要なのだと思いました。このことは、大使の方とお話している最中にも、実感したことです。事前に考えていた質問をグループの子が英語で質問した際、私たちが期待していた回答が得られない場面がありました。大使館訪問の前日に、伺いたい質問を日本語で考え、その質問をそのまま英語に翻訳したものでした。聞きたかった回答を得られなかったことよりも、なぜ英語が伝わらなかったのか、ということにショックを受けました。話し手自身が気にしていないような、ほんのわずかな言葉のニュアンスの違いが、相手との間で大きな認識のずれや関係のひずみを生む可能性をはらんでいるのだと気付きました。他言語話者と関わるときに限らず、母語が同じ人と話すときも同じことが言えます。今回得た気付きを今後の英語でのコミュニケーションだけでなく、日常の人間関係の中でも活かしていきたいです。

 他にも、大使の方に、私はこんな質問をしました。「意見が合致しない相手との対話の際に心がけていることは何ですか」と。すると、答えは、自分軸を持ったうえで相手の意見に同意はしないが、理解をするとのことでした。そうした対話の積み重ねが、無関心が無知を生むという状況を避けられるとも述べていました。オランダ大使の方が本題に入る前に、オランダの立場について時間を取って丁寧に話して下さったのは、意見が異なる相手と向き合うためには、まず理解してもらう努力が必要であるからだと感じました。相手と話す前に、対話が平行線にならないようにあらかじめ自分の中でシミュレーションを繰り返していく、これが良い対話につながるのではないかと思います。外交官という仕事は、自国の意見を推し進めていくのではなく、多角的に他国との関係を見直し、解決策を見出していく仕事なのだと、新たな発見も得られました。大使の方は私たちが大使館から帰る時、「平和を作るひとになってくださいね」とおっしゃって下さいました。

 大使館訪問プログラムで学んだことは数多くあるのですが、学んだことの中で一番驚いたのは、そこで話されていた考えや言葉をすでに何度も耳にしたことがあったということです。大使の方が帰り際に言われた「平和を作る人になってくださいね」という言葉は恵泉では平和を実現する女性になるという教育理念に重なり、オリエンテーションキャンプでは無知は無関心を生むことと同じ内容についてクラスメイトとディスカッションしました。平和を構築していく人として生きることや、価値観の違う相手にどう向き合うのか、そして無知は無関心を生むという考え方。これらは、特別な場所に行って学べることではなく、恵泉で当たり前に教えられてきたことであるのだと思います。また、オランダ大使の方が「伝える」よりも「伝わる」ことを意識するようにと言ったメッセージはこの感話にも通ずるところがあると考えています。感話はただ文章にするのではなく、聞き手のことを意識して書かなければいけません。感話を書いて読むというプロセスは自分自身の考えを振り返り、まとめるということに加え、溢れかえった言葉の中から一番良いものを取り出す難しさや大切さを学ぶ機会であると思います。同時に、私はこれまでの自分の姿勢を思い出しました。私はいつも、友人や家族に自分の悩みを打ち明ける時、相手からアドバイスをもらったとしても、大抵、自分の中で答えが決まってしまっています。そのため最終的には自分の考えに選択を委ねてしまいます。ですが、大使の「同意はしないが理解はする」という言葉から、自分の普段の姿勢を見直すことができました。今まで、友人との関わりの中で自分の中でどこか釈然とせず、相違に苦しむことが何度かありました。この悩みこそ、考えることをやめてはいけないサインなのだと思います。私たちの生活に浸透してきたAIは、私の考えに対して、すぐに回答してくれ、かつ否定的な表現を避けた上で、助言を示してくれます。おかげで私はわだかまりを抱くことはありません。なので、AIの回答を受け取り、考えることをやめてしまうことがほとんどです。考えることをやめてしまいそうな時、恵泉の感話は考えることのきっかけをもう一度作ってくれるのだと思います。感話が書ける回数も残り限られていますが、感話を書かなくなっても、感話で養った考えること、伝わるように話すことを大切にしたいです。

 この感話の中盤に私の将来の夢は外交官だと書きました。実は、この夢をまだ家族に伝えていません。この感話を書きながら学んだ「対話」にして、今日家に帰ったら家族に伝えようと思います。

 

 

2025/12/12

考えることと言い方

3年 H.I.

常生活の中で、友達や家族など他の人の言動や意見に違和感を覚えたり、自分の意見と異なっていると感じることがあります。そのとき私はその違和感を伝えるとその人との関係が崩れてしまうのではないかと考え、言わない方が良いかもしれない、だけど、そのままにしてしまったら後々相手が困るかも知れない、と悩んでしまいます。今回の感話では、率直に指摘された時とされなかった時、それぞれの良い点と悪い点を考えていきたいと思います。

私はよく母にその日の出来事とそのことに対して私が感じたことを話します。ある日私は友達の行動を少し不快に感じてしまい、そのことについて母に話しました。母は私の話を聞き、「それは嫌だったね」などの一言もなしに、「でもそのお友達はこういう考え方だったんじゃない?」と相手の目線で話し始めました。このような時、母のおかげで私も自分は偏った考え方しかできていなかった、と反省することができ、より物事を多面的に捉えられるようになります。しかし、その一方で母は私の意見を聞いたあと、少しも共感の意を示さず、きっぱりとした口調で考えを言ってくることがあります。そのため、私はお説教されるために言ったのではなく、ただ聞いて欲しかっただけなのに、言わなければよかった、と感じてしまいます。このように相手に対する考えを率直に伝えると、言い方次第では言われた相手は冷たい印象を受けたり、傷ついたりしてしまうことがあります。

また、私はこのようなことも経験しました。私はバレーボール部に所属しているのですが、同学年内での役割について、意見が二極化したことがありました。 その際、私は一方の意見を推していたのですが、私と仲の良いメンバーたちも私に賛同してくれました。そのため、私も自分の意見が絶対だという自信を深めていました。しかし、その後、もう一方の意見を推す人と話しをする機会がありました。するとそちらの意見にも納得できることが多く、ようやく私は自分が偏った見方しかできていなかったかもしれない、と、より客観的な視点を得るということができました。そして、その時にふと、初めから私に賛成してくれていた人たちも、実は私の偏った見方に気づいていたのに、仲良くしている私に気を使って全面的に賛成してくれていたのではないか、と感じました。

このように周囲が自分の意見に優しく寄り添ってくれることで安心して自分の意見に自信を持つことができる一方、その意見を絶対的だと思い込み、他人の意見を聞き入れないという状況を助長してしまい、いいものを作る上で必要不可欠な批判を受ける、ということがないため、本質を理解することができないという面があります。何かを決める場面でも、その場の雰囲気に合わせるだけで、先のことや全体のことまで考えずに賛同してしまったら、改善の道を閉ざすかもしれません。したがって、私は意見を言いたい相手が仲の良い人であったとしても、正直に自分の思いを伝えたいと思います。難しいことですが、順序や言い方を考えれば良いところを活かし、悪い所を改善することができるのではないかと思います。

今後は、一度共感できるところはしっかりと共感し、それから自分の意見を相手も受け入れやすいように「こんな見方もできるんじゃない?」と柔らかい口調で伝えることで、あまり冷たい印象を与えることなく、かつ相手の誤っているところを直したり、新しい見方を相手に提示したりするようにしたいです。こうすれば相手との関係性を深く傷つけることなく、より良いものを一緒に作り上げていけるのではないでしょうか。高校に向けてクラブや行事、友達や家族との関係のなかで、このようにして物事を多面的・客観的に考え行動できるようにしていきたいと思います。

2025/11/14

本音と建前

3年 M.O

幼い頃、友達がしてはいけないことをしようとしているのを見て、私ははっきりと「それはだめだよ」と言ってしまったことがあります。言い方がきつかったのか、その子は泣いてしまい、私は先生に呼び出され、注意されました。家に帰ると、親に「人の気持ちを考えなさい、正しいことを言っても人を傷付けてしまうことだってあるのよ」と言われたことを覚えています。その時、私はどうして正しいことを言っただけであり、その子の為を思って言ったのに私が怒られなければならないのだろうと不満に思いましたが、私の言葉が原因で友達を悲しい気持ちにさせてしまったのだと考えると、「言わなければ良かった」という後悔の気持ちが押し寄せてきました。
そして、私はこの出来事がきっかけで自分の本音を言うことが少し怖くなり、言うのをためらうようになりました。小学生の時には、グループでの役割決めで、本当はあまりやりたくなかったけれど、同じグループの子にお願いされてリーダーを引き受けてしまったことや、休み時間に本当は別のことをしたかったけれど、「人数が少ないから参加して欲しい」と言われ、ドッヂボールをしたこともありました。これまで何度も本当のことが言えず、もどかしい思いをしてきました。そのせいか、はっきり自分の意見を相手に伝えられ、自分の信念を貫ける人によく憧れます。

しかし、最近になって、建前も大切なことだと気付きました。建前を知らないと無意識に人を傷付け、関係が壊れてしまうこともあるからです。私は建前とは「相手を思いやる優しさ」だと思います。私はまだ、本音と建前が食い違ったときに本音より建前を優先してしまいます。それはきっと昔母に言われた言葉がずっと心にひっかかっていて、「本音を言えば、人を傷付けてしまうのではないか」「人に嫌われるのではないか」という不安があるからだと思います。

一方で、このように本音を言えないのは私だけではないと思います。それは、日本では集団の中での調和が重んじられており、それゆえに「空気を読む」という日本独自の社会文化が根付いているからです。また、日本では、主張することよりも調和することが美徳とされ、空気を読める人が優秀とされます。こうした文化がいき過ぎた結果、同調圧力が生まれ、本音を言い出せないことにつながっているのです。本音をさらけ出すことは簡単そうに思えて実は難しいことだと思います。相手の反応を見て、言いかけた言葉を飲み込んだり、どうせ分かってもらえないと諦めて投げやりになったり、そんなことを何回も繰り返しているうちに、自分の気持ちを全然大切にできていない気がして、自分を変えたいと強く思うようになりました。

そんな私は今、感話を述べるということで、自分自身に向き合い、本音に素直になれていると思います。上手く言葉にできなくても、ありのままの自分の気持ちを文章にして書くことはとても大切なことであり、言葉にすることで初めて気付けることも沢山あります。本音と建前の間にはいつも私の中で迷いや葛藤があります。空気を読むことや建前も大切ですが、それだけでは相手に本当の気持ちは伝わりません。だからこそ、私は「相手を思いやる優しさ」と「自分の気持ちに正直になる強さ」の両方を大切にしていきたいです。そして、本音を言うことが否定されることなく、むしろ相手との信頼を深めるものとして広く受け入れられ、今の日本の文化と上手く調和していければいいなと思います。

2025/11/14

政治を身近に感じた夏

3年 N.M.

この夏、私は政治について考えるきっかけがありました。それは、兄が十八歳になり選挙権を持つようになったことです。兄は以前から政治に関心を持っていたので、選挙で投票できることがとても嬉しそうな様子でした。そして、私に、「社会のことに興味を持ってみるといいよ」と話してくれました。

夏休みになってすぐの七月に参議院議員の選挙がありました。選挙の日は、夜に票を集計する開票作業があります。自分の住んでいる市区町村なら、誰でも見学できることを知り、私は家族と共に開票作業の会場である大きな体育館に向かうことにしました。夜のハ時に到着すると、体育館沿いの道路に、タクシーが何台も停まっていました。そこから投票箱を抱えた人が続々と降りて会場に入っていきました。私達も会場に入ると、そこでは沢山の人が準備をしていました。私達は、隅にある見学者席に座って見学しました。開票作業がはじまると、先ほどの投票箱が次々と運ばれ、鍵をかけられているかチェックを受け、テーブルの上に置かれていきます。テーブルのまわりでは、大勢の係の人が待機しています。夜の九時になり、開票作業が始まると、一斉に投票箱が開けられ、係の人たちが票の仕分けをしていきます。投票用紙を出した後の投票箱の中が本当に空になっているかを二重に確認する係の人もいました。開票作業の工夫や取り組みが想像以上に厳密で驚きました。選挙の公正さを守るために、投票用紙が大切に扱われている様子を見て、一票の重みを改めて感じました。見学をした後、私達を案内してくださった役所の職員の方に話を伺い、「白紙の票や欄外に落書きのある票が多いので、仕分けに時間がかかる」ということを教えてもらいました。又、この作業は夜通しかかるとのことで、選挙に携わる方たちの苦労を少し感じることができました。

このように夏休みの始めに選挙に興味を持ったことがきっかけで、夏休み中に、私は自分が住んでいる地域の議会を家族とともに何度か見学しに行きました。私達の生活をより良くするために真剣に取り組んで下さっていることを実感しました。

今年は普通選挙が始まってから百年目ということをニュース記事で知りました。皆さんも一度は習ったり聞いたりしたことがあると思いますが、当初はごくわずかな一部の人にしか選挙権を与えられていませんでしたが、長い時間をかけて現在の制度になったという歴史があります。

以前から若者の投票率がどの年代よりも低いことは知っていましたが、開票作業を見て選挙に参加しないということは、せっかくある一票を無駄にしてしまうことなので、もったいないことだと思いました。調べてみると、海外では、投票率を上げるために選挙を義務としている国がありました。例えば、オーストラリアでは、正当な理由がなく投票に行かなければ、約二千円の罰金を取るそうです。他にも投票が義務になっている国も多くあることが分かりました。

この夏の経験で、あまり考えたことがなかった「選挙」や「投票」が少し身近な存在となりました。そして、より多くの若者が選挙に対し関心を持つ必要があると思いました。私は政治にまつわるニュースをみても、まだよく分かっていないことがたくさんあります。選挙権を持ったときに困らないように、政策や政治のしくみについて、身近なことから知っていきたいと思いました。そして、ニュースから得た情報や誰かの発言などをただ受け止めるのではなく、そこからどう考えるのか意識することの大切さに気付きました。私はまだ、難しい話題だと「よく分からない」と考えることをやめてしまったり、自分の考えをうまく言葉にできなかったりすることがあります。けれどこれからは、社会のことや普段の生活の中でも、問いを立て、自分で考えることを大切にしていきたいです。

 

2025/10/06

様々な人と関わって

3年 A.A.

 この夏、私は様々な大学、企業、施設などを訪問し、自分とは違う特徴を持つ人達、自分とは違う国や環境に暮らす人達との関わりについて考え、そのことを家族と話す機会を持ちました。
 

 今年の七月末、私は同じクラブの友人に誘われ、牧ノ原やまばと学園訪問に参加しました。やまばと学園とその周辺施設は、静岡県の茶畑に囲まれたのどかなところにあり、そこでは高齢者や障害者の介護をおこなっています。今回、私たちは、そこで暮らす方々との交流、そしてその施設の清掃や手伝いなどを行いました。
 

 高齢者施設を訪れた際には、何名かの利用者さんと遊んだり、一緒に運動をしたりしました。利用者さんのほとんどは手や足が思うように動かせない状態であり、私たちが普段当たり前にやっているようなことができませんでした。うまく体が動かせないために、一緒に遊んでいる最中に物を落としてしまったり、一緒に運動しようと思っても、なかなか動いてくださらないなど、かなりもどかしさを感じる場面がありました。私の方から話しかけても、利用者さんがあまり反応を示さないように見え、私は何をしてよいのか分からず、少し困惑してしまいました。ですが、施設の方は積極的に利用者さんに話しかけ、利用者さんが体を動かすのをサポートしていて、自分との経験の差を実感しました。利用者さんの様子も見ているうちに、反応を示していないように見えたのはあまり態度に表れていないだけで、反応しようとはしているということを何となく感じられるようになりました。また、一見すると怒っているように見える人もいたりして不安でしたが、施設の方は「皆、喜んでくれている」とおっしゃっていたので少し安心しました。

 障害者施設への訪問では、施設の手伝いと知的障害者の方々との交流を行いました。利用者さんの年齢は様々で、中には文字を読むことができたり、少し話すことのできたりする方もいました。施設の方の話を聞いているときに急に体を触ってくる方もいて、戸惑うこともありましたが、それはその人なりのコミュニケーションで、私たちに興味があったのかもしれません。施設の方の話を聞いていると、その人の好きなことを把握していたり、優しく声をかけていたりと、一緒に過ごしていると相手の色々なことを理解することができるということ、逆に利用者さんも施設の方の言っていることを理解しているということを実感させられました。利用者さんの近くにいたり、歌を歌ったりする中で、少し緊張もしましたが、互いに言葉を交わさなくても、表情や身ぶり手ぶり、視線などで気持ちを理解しようとする姿勢を学びました。これらのことを振り返って私が感じたのは、上手く話すことができなくとも、相手を理解しようとする姿勢は大切だということです。以前、父や母と外国人に関する新聞記事について話し合った時、父は「外国人差別が起きるのは外国人を知らないからであり、一緒に仕事をしたり生活したりして友達になる必要がある」と言っていました。確かに、高齢者や障害者の方々に対する理解は十分とは言えず、不安になることもありました。何故なら高齢者や障害者の生活を日常において想像したり、主体的に調べようとしたことはほとんどなかったのです。その一方で、どう接すればよいのか分からない時でも、分かり合おうとする姿勢を常に持ち続けることが大切だと思いました。外国人差別に対しても、自分の尺度で相手を決めつけるのではなく、相手をよく知り、理解することが大切だと思います。
 

 この夏の体験を通して、あまり反応を示さず意志疎通が上手くいかなそうな相手や、コミュニケーションをとるのが難しそうな相手でも、時間をかけて相手を知ろうとするということと向き合うことが出来ました。また、人との関わり、人を知るということの重要さを実感しました。誰に対しても、知る努力をするよう、正しく理解することができるようにしていきたいです。