学校生活

感話

礼拝での感話
書く力・話す力・聞く力を生かして、生き方を考える

恵泉教育の特徴のひとつに「感話」があります。日頃感じたり考えたりしたことをまとめたもので、礼拝のときに年に3回他の生徒の前で述べます。1年生のときは原稿用紙で3枚から4枚、6年生になると7枚から8枚を書く生徒もいます。感話を書くということは、自己を見つめ、考える作業にほかなりません。従って、それは時に真剣な告白となって聞く者の心を揺さぶります。何を述べても受け容れられるという恵泉の環境があってこそ、はじめて成り立つものなのです。理想とする生き方、友人とのトラブル、留学から学んだこと、哲学や芸術について……多感な時期に感話を書き、また聞き続けることで、誠実に人生に向き合うことを学びます。

毎朝の礼拝

本校の1日は礼拝から始まります。それは、生徒一人ひとりが自己を見つめる静思の時。讃美歌を歌い、聖書を読み、共に祈る時間です。また、イースター礼拝、母の日礼拝、感謝祭礼拝、クリスマス礼拝、河井道記念礼拝などの特別礼拝では、講師を招いてお話を伺います。

自己と向き合う

生徒が日々の生活の中で感じたことや考えたことを述べる「感話」は、自己と向き合い、内面を掘り下げる大切な機会として、一人ひとりに与えられている、恵泉の礼拝の特色のひとつです。聞く者にとっても、新しい価値観に出会い啓発され、上級生や同級生の経験を追体験・共感できる場です。

豊かな表現力の育成

「感話」を書くことは、論理的思考能力の育成につながります。文章を書くことが苦手な生徒でも、文章の推敲を繰り返すうちに、文章で自分の考えを表現する力が自然と身につきます。また、他人の感話を聞くことも、物事を多面的に捉える力につながり、小論文入試にも大きく役立っていきます。

感話 新着記事

2025/12/12

考えることと言い方

3年 H.I.

常生活の中で、友達や家族など他の人の言動や意見に違和感を覚えたり、自分の意見と異なっていると感じることがあります。そのとき私はその違和感を伝えるとその人との関係が崩れてしまうのではないかと考え、言わない方が良いかもしれない、だけど、そのままにしてしまったら後々相手が困るかも知れない、と悩んでしまいます。今回の感話では、率直に指摘された時とされなかった時、それぞれの良い点と悪い点を考えていきたいと思います。

私はよく母にその日の出来事とそのことに対して私が感じたことを話します。ある日私は友達の行動を少し不快に感じてしまい、そのことについて母に話しました。母は私の話を聞き、「それは嫌だったね」などの一言もなしに、「でもそのお友達はこういう考え方だったんじゃない?」と相手の目線で話し始めました。このような時、母のおかげで私も自分は偏った考え方しかできていなかった、と反省することができ、より物事を多面的に捉えられるようになります。しかし、その一方で母は私の意見を聞いたあと、少しも共感の意を示さず、きっぱりとした口調で考えを言ってくることがあります。そのため、私はお説教されるために言ったのではなく、ただ聞いて欲しかっただけなのに、言わなければよかった、と感じてしまいます。このように相手に対する考えを率直に伝えると、言い方次第では言われた相手は冷たい印象を受けたり、傷ついたりしてしまうことがあります。

また、私はこのようなことも経験しました。私はバレーボール部に所属しているのですが、同学年内での役割について、意見が二極化したことがありました。 その際、私は一方の意見を推していたのですが、私と仲の良いメンバーたちも私に賛同してくれました。そのため、私も自分の意見が絶対だという自信を深めていました。しかし、その後、もう一方の意見を推す人と話しをする機会がありました。するとそちらの意見にも納得できることが多く、ようやく私は自分が偏った見方しかできていなかったかもしれない、と、より客観的な視点を得るということができました。そして、その時にふと、初めから私に賛成してくれていた人たちも、実は私の偏った見方に気づいていたのに、仲良くしている私に気を使って全面的に賛成してくれていたのではないか、と感じました。

このように周囲が自分の意見に優しく寄り添ってくれることで安心して自分の意見に自信を持つことができる一方、その意見を絶対的だと思い込み、他人の意見を聞き入れないという状況を助長してしまい、いいものを作る上で必要不可欠な批判を受ける、ということがないため、本質を理解することができないという面があります。何かを決める場面でも、その場の雰囲気に合わせるだけで、先のことや全体のことまで考えずに賛同してしまったら、改善の道を閉ざすかもしれません。したがって、私は意見を言いたい相手が仲の良い人であったとしても、正直に自分の思いを伝えたいと思います。難しいことですが、順序や言い方を考えれば良いところを活かし、悪い所を改善することができるのではないかと思います。

今後は、一度共感できるところはしっかりと共感し、それから自分の意見を相手も受け入れやすいように「こんな見方もできるんじゃない?」と柔らかい口調で伝えることで、あまり冷たい印象を与えることなく、かつ相手の誤っているところを直したり、新しい見方を相手に提示したりするようにしたいです。こうすれば相手との関係性を深く傷つけることなく、より良いものを一緒に作り上げていけるのではないでしょうか。高校に向けてクラブや行事、友達や家族との関係のなかで、このようにして物事を多面的・客観的に考え行動できるようにしていきたいと思います。

2025/12/12

無意識の人種差別

3年 K.N.

みなさんは日本で人種差別を見たり、受けたりしたことはありますか。おそらく多くの人が「ない」と答えると思います。実際、以前は私も人種差別とはいわゆる白人と呼ばれるヨーロッパにルーツをもつ人が黒人とよばれるアフリカにルーツをもつ人を差別することだと思っていたため、日本には人種差別がないと思っていました。しかし、恵泉の授業でどの人種でも偏見による差別があった場合、人種差別に当てはまると知り、小学校3年生の頃に自分に起こった人種差別にあたるような出来事を思い出しました。

この出来事は進級して新しいクラスになり、自己紹介をしたときに起こりました。自己紹介で「私は香港生まれです」というと、クラスの数人の男子に「中国人だからマナーが悪いし、きっと家では変なものを食べている」と言われました。両親が日本人であるため、私の国籍は日本であるにもかかわらず、誤解され、その後、私に関する根拠のない悪い噂がクラスに広がってしまいました。私は半年ほどその悪い噂に苦しめられ、筆箱や教科書を隠されたり、壊されたり、心無い言葉をかけられたりすることもありました。もともと私にとって「香港生まれ」ということは誇りでした。しかしこの出来事以降、私は、再びこのようなことが起こることを恐れ、自己紹介では香港生まれということは言わず、差し障りのないことだけを他人と同じように言うようになりました。

もう一つ、中学二年生の冬にあった出来事も思い出しました。これは家族でスキーに行ったときの出来事です。スキーをしているとスキー板が外れて困っている外国人らしい人を見つけました。金髪であるという見た目から私は英語で話しかけ、助けようとしました。しかし、相手は日本語で、日本語を使って欲しいといったのです。それにもかかわらず、私は親切のつもりで英語で話し続けました。するとその結果、私たちはお互いに混乱してしまいました。いったん話をやめると、改めてその人は「英語は話せないから日本語で話してほしい」、と言ったのです。その時、私は私の思い込みで相手を傷つけてしまったかもしれない、と申し訳ない気持ちになりました。

このような経験を通して私は、私たちがアンコンシャスバイアスと呼ばれる無意識の偏見をもっていること、また、そのような偏見を無意識に相手に伝えてしまうことが結果的にマイクロアグレッションとよばれる無意識の差別的な言動につながってしまうことに改めて気づかされました。無意識の差別は日頃の会話の中や普段使っている言葉に潜んでいるため、なくすのはとても難しいと思っていますが、このようなことを少しでも減らすために、まずは自分がどのような偏見を持っているのかを意識し、一人一人が普段の言動に責任を持つことが大切だと思います。

また、これらの無意識のうちに行われる差別的行動は「自分の知っている普通」とは違う人に対しての「無知」が作り出すものです。私が受けた誤解も、私が見た目で判断してしまった出来事もどちらも知識がないからこそ起こったことです。案外私たちは自分たちが「無知」であるということに気づきにくく、それが偏見につながっているのではないでしょうか。私も先日3年生以上で行われた平和教育講演会での北原モコットゥナ先生のお話を聞くまで、自分の「無知」について知りませんでした。しかし今は「無知」であるということを経験とともに気づくことができています。みなさんも平和教育講演会や日頃の授業で差別について考えるとき、この「無知」ということを思い出してみてください。

また、クリスマス活動勉強会やクリスマス訪問、その他の有志参加行事など学校行事や外部のイベントに積極的に参加することも「無知」を減らす方法の一つだと思います。私も来年の春に行われる「広島平和の旅」に参加して、少しでも「無知」を減らしたいと思います。

2025/11/14

本音と建前

3年 M.O

幼い頃、友達がしてはいけないことをしようとしているのを見て、私ははっきりと「それはだめだよ」と言ってしまったことがあります。言い方がきつかったのか、その子は泣いてしまい、私は先生に呼び出され、注意されました。家に帰ると、親に「人の気持ちを考えなさい、正しいことを言っても人を傷付けてしまうことだってあるのよ」と言われたことを覚えています。その時、私はどうして正しいことを言っただけであり、その子の為を思って言ったのに私が怒られなければならないのだろうと不満に思いましたが、私の言葉が原因で友達を悲しい気持ちにさせてしまったのだと考えると、「言わなければ良かった」という後悔の気持ちが押し寄せてきました。
そして、私はこの出来事がきっかけで自分の本音を言うことが少し怖くなり、言うのをためらうようになりました。小学生の時には、グループでの役割決めで、本当はあまりやりたくなかったけれど、同じグループの子にお願いされてリーダーを引き受けてしまったことや、休み時間に本当は別のことをしたかったけれど、「人数が少ないから参加して欲しい」と言われ、ドッヂボールをしたこともありました。これまで何度も本当のことが言えず、もどかしい思いをしてきました。そのせいか、はっきり自分の意見を相手に伝えられ、自分の信念を貫ける人によく憧れます。

しかし、最近になって、建前も大切なことだと気付きました。建前を知らないと無意識に人を傷付け、関係が壊れてしまうこともあるからです。私は建前とは「相手を思いやる優しさ」だと思います。私はまだ、本音と建前が食い違ったときに本音より建前を優先してしまいます。それはきっと昔母に言われた言葉がずっと心にひっかかっていて、「本音を言えば、人を傷付けてしまうのではないか」「人に嫌われるのではないか」という不安があるからだと思います。

一方で、このように本音を言えないのは私だけではないと思います。それは、日本では集団の中での調和が重んじられており、それゆえに「空気を読む」という日本独自の社会文化が根付いているからです。また、日本では、主張することよりも調和することが美徳とされ、空気を読める人が優秀とされます。こうした文化がいき過ぎた結果、同調圧力が生まれ、本音を言い出せないことにつながっているのです。本音をさらけ出すことは簡単そうに思えて実は難しいことだと思います。相手の反応を見て、言いかけた言葉を飲み込んだり、どうせ分かってもらえないと諦めて投げやりになったり、そんなことを何回も繰り返しているうちに、自分の気持ちを全然大切にできていない気がして、自分を変えたいと強く思うようになりました。

そんな私は今、感話を述べるということで、自分自身に向き合い、本音に素直になれていると思います。上手く言葉にできなくても、ありのままの自分の気持ちを文章にして書くことはとても大切なことであり、言葉にすることで初めて気付けることも沢山あります。本音と建前の間にはいつも私の中で迷いや葛藤があります。空気を読むことや建前も大切ですが、それだけでは相手に本当の気持ちは伝わりません。だからこそ、私は「相手を思いやる優しさ」と「自分の気持ちに正直になる強さ」の両方を大切にしていきたいです。そして、本音を言うことが否定されることなく、むしろ相手との信頼を深めるものとして広く受け入れられ、今の日本の文化と上手く調和していければいいなと思います。

2025/11/14

政治を身近に感じた夏

3年 N.M.

この夏、私は政治について考えるきっかけがありました。それは、兄が十八歳になり選挙権を持つようになったことです。兄は以前から政治に関心を持っていたので、選挙で投票できることがとても嬉しそうな様子でした。そして、私に、「社会のことに興味を持ってみるといいよ」と話してくれました。

夏休みになってすぐの七月に参議院議員の選挙がありました。選挙の日は、夜に票を集計する開票作業があります。自分の住んでいる市区町村なら、誰でも見学できることを知り、私は家族と共に開票作業の会場である大きな体育館に向かうことにしました。夜のハ時に到着すると、体育館沿いの道路に、タクシーが何台も停まっていました。そこから投票箱を抱えた人が続々と降りて会場に入っていきました。私達も会場に入ると、そこでは沢山の人が準備をしていました。私達は、隅にある見学者席に座って見学しました。開票作業がはじまると、先ほどの投票箱が次々と運ばれ、鍵をかけられているかチェックを受け、テーブルの上に置かれていきます。テーブルのまわりでは、大勢の係の人が待機しています。夜の九時になり、開票作業が始まると、一斉に投票箱が開けられ、係の人たちが票の仕分けをしていきます。投票用紙を出した後の投票箱の中が本当に空になっているかを二重に確認する係の人もいました。開票作業の工夫や取り組みが想像以上に厳密で驚きました。選挙の公正さを守るために、投票用紙が大切に扱われている様子を見て、一票の重みを改めて感じました。見学をした後、私達を案内してくださった役所の職員の方に話を伺い、「白紙の票や欄外に落書きのある票が多いので、仕分けに時間がかかる」ということを教えてもらいました。又、この作業は夜通しかかるとのことで、選挙に携わる方たちの苦労を少し感じることができました。

このように夏休みの始めに選挙に興味を持ったことがきっかけで、夏休み中に、私は自分が住んでいる地域の議会を家族とともに何度か見学しに行きました。私達の生活をより良くするために真剣に取り組んで下さっていることを実感しました。

今年は普通選挙が始まってから百年目ということをニュース記事で知りました。皆さんも一度は習ったり聞いたりしたことがあると思いますが、当初はごくわずかな一部の人にしか選挙権を与えられていませんでしたが、長い時間をかけて現在の制度になったという歴史があります。

以前から若者の投票率がどの年代よりも低いことは知っていましたが、開票作業を見て選挙に参加しないということは、せっかくある一票を無駄にしてしまうことなので、もったいないことだと思いました。調べてみると、海外では、投票率を上げるために選挙を義務としている国がありました。例えば、オーストラリアでは、正当な理由がなく投票に行かなければ、約二千円の罰金を取るそうです。他にも投票が義務になっている国も多くあることが分かりました。

この夏の経験で、あまり考えたことがなかった「選挙」や「投票」が少し身近な存在となりました。そして、より多くの若者が選挙に対し関心を持つ必要があると思いました。私は政治にまつわるニュースをみても、まだよく分かっていないことがたくさんあります。選挙権を持ったときに困らないように、政策や政治のしくみについて、身近なことから知っていきたいと思いました。そして、ニュースから得た情報や誰かの発言などをただ受け止めるのではなく、そこからどう考えるのか意識することの大切さに気付きました。私はまだ、難しい話題だと「よく分からない」と考えることをやめてしまったり、自分の考えをうまく言葉にできなかったりすることがあります。けれどこれからは、社会のことや普段の生活の中でも、問いを立て、自分で考えることを大切にしていきたいです。

 

2025/10/06

様々な人と関わって

3年 A.A.

 この夏、私は様々な大学、企業、施設などを訪問し、自分とは違う特徴を持つ人達、自分とは違う国や環境に暮らす人達との関わりについて考え、そのことを家族と話す機会を持ちました。
 

 今年の七月末、私は同じクラブの友人に誘われ、牧ノ原やまばと学園訪問に参加しました。やまばと学園とその周辺施設は、静岡県の茶畑に囲まれたのどかなところにあり、そこでは高齢者や障害者の介護をおこなっています。今回、私たちは、そこで暮らす方々との交流、そしてその施設の清掃や手伝いなどを行いました。
 

 高齢者施設を訪れた際には、何名かの利用者さんと遊んだり、一緒に運動をしたりしました。利用者さんのほとんどは手や足が思うように動かせない状態であり、私たちが普段当たり前にやっているようなことができませんでした。うまく体が動かせないために、一緒に遊んでいる最中に物を落としてしまったり、一緒に運動しようと思っても、なかなか動いてくださらないなど、かなりもどかしさを感じる場面がありました。私の方から話しかけても、利用者さんがあまり反応を示さないように見え、私は何をしてよいのか分からず、少し困惑してしまいました。ですが、施設の方は積極的に利用者さんに話しかけ、利用者さんが体を動かすのをサポートしていて、自分との経験の差を実感しました。利用者さんの様子も見ているうちに、反応を示していないように見えたのはあまり態度に表れていないだけで、反応しようとはしているということを何となく感じられるようになりました。また、一見すると怒っているように見える人もいたりして不安でしたが、施設の方は「皆、喜んでくれている」とおっしゃっていたので少し安心しました。

 障害者施設への訪問では、施設の手伝いと知的障害者の方々との交流を行いました。利用者さんの年齢は様々で、中には文字を読むことができたり、少し話すことのできたりする方もいました。施設の方の話を聞いているときに急に体を触ってくる方もいて、戸惑うこともありましたが、それはその人なりのコミュニケーションで、私たちに興味があったのかもしれません。施設の方の話を聞いていると、その人の好きなことを把握していたり、優しく声をかけていたりと、一緒に過ごしていると相手の色々なことを理解することができるということ、逆に利用者さんも施設の方の言っていることを理解しているということを実感させられました。利用者さんの近くにいたり、歌を歌ったりする中で、少し緊張もしましたが、互いに言葉を交わさなくても、表情や身ぶり手ぶり、視線などで気持ちを理解しようとする姿勢を学びました。これらのことを振り返って私が感じたのは、上手く話すことができなくとも、相手を理解しようとする姿勢は大切だということです。以前、父や母と外国人に関する新聞記事について話し合った時、父は「外国人差別が起きるのは外国人を知らないからであり、一緒に仕事をしたり生活したりして友達になる必要がある」と言っていました。確かに、高齢者や障害者の方々に対する理解は十分とは言えず、不安になることもありました。何故なら高齢者や障害者の生活を日常において想像したり、主体的に調べようとしたことはほとんどなかったのです。その一方で、どう接すればよいのか分からない時でも、分かり合おうとする姿勢を常に持ち続けることが大切だと思いました。外国人差別に対しても、自分の尺度で相手を決めつけるのではなく、相手をよく知り、理解することが大切だと思います。
 

 この夏の体験を通して、あまり反応を示さず意志疎通が上手くいかなそうな相手や、コミュニケーションをとるのが難しそうな相手でも、時間をかけて相手を知ろうとするということと向き合うことが出来ました。また、人との関わり、人を知るということの重要さを実感しました。誰に対しても、知る努力をするよう、正しく理解することができるようにしていきたいです。